横綱稀勢の里ではなく、15歳の萩原の話をしよう

思考録

僕が相撲を本格的に見始めたのは、朝青龍時代だった。

あっという間に番付を駆け上がり、
「貴乃花引退後、次の横綱は間違いなく朝青龍だ」
そんな風に言われていた頃だ。

その時代に、一人の少年が角界の門を叩く。

その名は——
萩原。後の稀勢の里である。

モンゴル全盛時代、日本の希望だった男

朝青龍、白鵬、安馬(後の日馬富士)、鶴竜。

モンゴル勢が圧倒的な強さを誇ったあの時代、
日本中の期待を一身に背負っていたのが萩原だった。

もちろん当時は、
琴奨菊、豪栄道、豊ノ島など人気力士も多かった。

それでもきっと皆こう思っていたはずだ。

「萩原にかかる期待は、自分たちとは別次元だ」と。

それくらい、
彼は“特別な存在”だった。

15歳で背負うには、あまりにも大きすぎた期待

今の角界は、大学相撲や高校相撲を経た
学生相撲出身者が多い。

その中で萩原は、
中学卒業後すぐに入門した叩き上げだった。

しかも、

17歳で十両。
18歳で幕内。

高校生の年齢で関取。

その出世の早さから、
「大関は確実」
「横綱にもなれる」
と、幕内に上がった頃には普通に言われていた。

朝青龍が見つめた、無名時代の萩原

萩原がまだ序二段か三段目だった頃。

当時、大関か関脇だった朝青龍が
たまたまその取組を見ていたらしい。

これはかなり異例だ。

関取が下の番付の相撲を見るなんて、
普通はまずない。

そんな中、萩原は負けた。

そして——
悔しさで泣いた。

その姿を見た朝青龍は、
こう言ったという。

「おまえ、その気持ちを忘れるなよ」

この言葉、かっこよすぎるだろ。

その言葉を胸に、少年は横綱になる

萩原はその後、
番付を駆け上がっていく。

そしてついには、
朝青龍と対戦する地位まで上り詰める。

自分を見ていた憧れの存在と、
同じ土俵に立つ。

こんな胸が熱くなる話、あるだろうか。

こういう出会いって、
不思議とドラマチックなことが多い。

本気で悔しがれる人間は、強い

僕がこの話ですごいと思うのは、
まだ何者でもない15歳、16歳の時点で

負けて泣くほど悔しがれたこと。

それだけ本気だったということだ。

なんとなくやっていたら、
人はそこまで悔しがれない。

本気で挑戦したからこそ、
得られるものがある。

もちろん、
誰もが成功できるわけじゃない。

むしろ、うまくいかない人の方が多い。

それでも——

全力でやった人間にしか
見えない景色があるんだと思う。

だから僕も、やるしかない

相撲と僕のAGA治療を結びつけるのは
少しおこがましいかもしれない。

でも思う。

何事も、
本気でやってみなきゃわからない。

結果がどうなるかじゃない。

本気でやったかどうか。

そこに意味があるんだと思う。

だから僕も、やるしかない。

この萩原(稀勢の里)の話、
本当はまだまだ語りたいことがある。

でも長くなりすぎるので、
今回はこの辺で。

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